書籍出版の進捗報告:序章が完成しました

出版を予定している書籍の序章が完成いたしましたので、ご報告いたします。

序章

はじめに

「食事」とは食べる事象と書く。
動物は生きるために食べる。
食後は休息し、休んだらまた次の捕食のために活動する。
生きるために食べている、極論、食べるために生きているとも言える。
万物の霊長たる人間はその食べることに更に一歩踏み出し、楽しみを見出した。
色や盛り付けも含めた視覚、香りを活かした嗅覚、咀嚼音に影響する聴覚、食感に関わる触覚、そして甘味、塩味、酸味、苦味、うま味の味覚。
まさに五感を駆使して美味しさというものを追求している。
生きるために必要かつ重要な食べることをより楽しく豊かにし、生きがいにまで繋がるように昇華させてきたのだと思える。

食物と人体

消化・吸収といったプロセスを経て、細かくなろうが変化しようが、元は自分で食べたもの。
可能な範囲で自由に選んで食べればいいと思うが、○○でなければならないという、行き過ぎた拘りは食を豊かにすることからは外れていくようにも思う。
ただ、ニューヨークの蟻の体は、田舎の蟻と比べて成分が単一化しているという研究がある。
人間の食べ残しを餌とするため、トウモロコシ由来のものが多く、色んなものを食べている田舎の蟻とは体の作りそのものが異なっているという。
食事=栄養補給という考えでは、毎日同じものをその由来も気にせず食べ続けていても栄養素という観点から見れば気にならないだろうし、お菓子やサプリメント、エナジードリンク等々のみでも気にならない人もいる。
何が正しいと言うつもりもないが、分かっているのは「今日食べたものが明日の身体・自分を作る」ということである。

食べる力は生きる力

病気になっても食欲があって食べられれば自然回復力で何とかなることもある。逆に口内環境を整え、飲み込む力があっても食べる意欲がないと難しいこともある。
そして、食べるための機能は生物なので、加齢と共に低下していく。
介護現場は勿論、高齢社会ではこの食べる力・食べていく力の低下は皆に等しく訪れる共通の問題でもある。
そして、人は死の準備期間に入ると十分に食べていても体重維持はできなくて、痩せていくことが分かり、命を延ばすための食事摂取ではなく、穏やかに食べる食事できる状態を目指すことが必要とする研究報告もある。
誰もに訪れる、決して抗えない死というものの前では「食べる=生きる」という力は自らの意思とは別次元で自然と衰退していくのかもしれない。

少しでも長く食べてもらうように

とはいえ、全てを衰えていくのに任せて、何もしないというのはいかがなものか。
健康でいるために若さを保つために皆が無理ない範囲で努力はしている。
ましてや健康を害した後の回復や介護状態での食べる力の維持など色々と手を尽くせることはまだまだある。
食べるということは生きること。
全身も口の中も機能も生活も、それぞれが大事で関わり合いながら食べることは成り立っている。
そんな「食べること」を医療・介護のスペシャリスト達が各々の視点と経験からアプローチしていく。

この後、

看護師の章、
理学療法士・作業療法士の章、
歯科医師の章、
歯科衛生士の章、
言語聴覚士の章、
ケアマネージャーの章

と続いていきます。

進捗があり次第、こちらの「お知らせ」にて随時ご報告いたします。
どうぞご期待ください。